こんにちは、小6男子、大吉です。

僕は両親やおじさんおばさんから、

「医者になったらいい医者になる」って

ことあるごとに言われて、

医者になるのかなぁと思っていたら、

嫌になったりして、

父に嫌だと言ったら、

「いろんな科があって、たのしいぞー」といわれて言い返せなかったし、

母やじいちゃんばあちゃんにいうと

「他のことなど考えるな!」

って、意外なほど厳しく言われて、

相談する先がありません。

 

学校の先生にも「大吉は医者になるんだろ」

とか言われて、

諦めモードです。

 

警官にも憧れてるし、学者さんにも憧れるけど、

父が、「医者は学者にもなれるし、本を出す人もいるんだよ」

と、抜け目がありません。

 

どうしたらいいでしょう。

 

このままいったら、頭がおかしくなって、医学部を中退して

高卒として派遣会社を渡り歩きながら、

結婚もなかなかできないんじゃないかなぁと思います。

 

実際そうなりました。

35歳、大吉です。

大学受験の時に、理工学部を希望しましたが、

医学コースに絡めとられていた私は、医学部しか受けられませんでした。

学校によっては、理工学部のほうが難しいのです。

 

頭がよかったら医学部!ってのが脊髄反射みたいになってる親いますよね。

ある漫画で、

「君たちは自分を優秀だと思っているのか。違う。

 そこにあったのは、父の財力と、母親の狂気だ!!」

というのがありました。

まさにそんな感じ。

 

ところで、医学部の中退率どれくらいだと思います?

実は、数年に3人くらい、僕の頃で、中途退学しています。

自分の意思でやめるのは5年にひとりくらいだそうです。

大抵、つらい実習でつぶれて、試験ができなくなって、退学です。 

その原因には、「いわれるがままに医学部に入った」というパターンがあったら、

悲惨だなと思って書いてます。

 

解剖に動物実験に、と、在学が続いてしまうほど手は血で汚れます。

後戻りしにくいです。

 

中退までのお決まりコースは、塾での勉強についていくしか能のなかった輩が、

塾のない大学という勉強について行けずに大量に留年します。

そのなかで、コツを掴めなければ学則に従い、中退です。

僕の頃で、留年常習者が10人弱いました。

 

いまの学生が、ネットを手に入れ、少し賢くなって自己判断をもうすこしできていることを願うばかりです。

 

しかし、ぼくも留年常習者だったのですが、なにをきっかけに、

やる気を失った青年に無駄な学費を払い続ける親を止められたか。

僕がある障害者と恋に落ちて、僕自身がしっかり生きたいと思ったからです。

 

うちの大学でも修業年限がせまっていて、卒業は無理でしょうと、

親が学校に説得される有様でした。

しかし、20年以上、「息子は医師になって世間にはばたく」と信じ続けてきた

母の心には届きません。

もう母は、幼子を守ろうとするジャンヌダルクです。

 

もうついていけません。と、幼子がジャンヌダルクの腕を噛みました。

 

一年頑張り通して何百というハンコを実習先で集め、給料をもらっているわけでもなく、家族の仕送りで切り盛りする生活。

ここでは書けないような難病奇病と戦う患者と医師、そのかたわらで何者でもない自分をもっと高く!もっと変えなさい!!と叱咤し続けられる。

 

その努力がただ我慢すれば医師になれるようなら、とっくに医師になってました。

自信を持ち直して、同僚と切磋琢磨していたかもしれませんが、

 

待っていたのは年度末試験。そこで落とされ、次年度も同じ繰り返し。

100人の全く知らない年下と、あれ?こいつ去年もいなかった?と気づく先生方に

さげすまれたり、馬鹿にされたり、不幸の象徴のように恐れられたり・・・なまぬるい地獄ですが、

変にプライドを持っていると、すかさずざっくりやられるので、

へこへこするしかありません。

 

嗚呼、あの秀才はどこへ行ったのか。

 

いまでは学校から自由になり、医学知識も多少は役に立つだろうと、

社会福祉士を目指しています。

SNSで医学知識が役に立つこともありますが、

御茶飲み話にしかなりません。

 

医師しか、医療相談で金をとってはならないと習ってますから。

医療相談、元医学生とも標榜しません。 

 

実家住まいでフリーター兼学生ですね。

医者になる「つもり」で一応生きてたこともありますし、

男尊女卑や不品行が嫌いだった、進学校のエースだったぼくとしては、

社会問題の当事者のために生きることにしました。

社会福祉士のことです。

 

しかし、医学部で大学中退は、「理解できない」と求職活動でも門前払い

されることもあります。

 

全く割に合わない。

しかしながら、自分の足で生きている実感が出てきました。

 

このような、正直が馬鹿を見るみたいな「人生のレール」は、

途切れてからが本番かもしれないですね。

 

ただただ、自分の人生を味わいつくそうと思っています。